チルチンびと

年末から続いた原発に関する運動
それと、自分なりの新たな展開としてはじまった「間」の展示
ようやく落ち着き、生活のための仕事ができるようになってきた。
つまり、現金収入。
凹んだ分、必死で取り戻していきます。
そんな感じだから、手元に届いていても
じっくり読みたかった記事に目を通すことが出来ず
今日まで、机の上の目立つところに置いていた雑誌が
チルチンびとの春号・小さな「和」
ここに友達の和紙職人中嶋久実子さんと彼女達の取り組みを記事にした、これまた友達の近藤夏織子さんのページがあります。
読んでみて、やっぱり感じていたことが、よりわかりやすく記事になっていて、そうそう、この辺りを理解できなければ、やはり伝統工芸を続けていくことが出来ないし、続けるには今の経済の流れからではなく、もともとあった暮らしからの立ち上げが必要なことなんだろうなって思いました。しかも、どっぷり浸かったリアルな場所から。
中嶋さんは、この辺り、どっぷり浸かっていて
そういう意味では、僕にとってリアルな紙漉きをしていて
いつも刺激をもらってた人
記事になる前からの動きもずっと見てきていて
いつも、真ん中を意識させてくれる。
そして、一度途絶えた、和紙の原料である楮の復活事業
どうなるか、わからないけど、続いていく太い線が見える。
言うのは簡単だし、イメージはわかるけど
太くないんよね。インスタントなんだよ~って思えることが多い中で
彼女の意識はもっと深いところを見ているし
その真ん中からよっこらしょって動いているのがわかる。
僕も見習わなければ・・・・。
さてさて、伝統産業に携わっている中で
どの辺りが伝統か?ということが意識の差が出るところ。
仕事という意味で続けるならば、いくらでも方法はあるのかな?
と思うけど、これはアキフミング・百姓かるたでも書いたように、農業と百姓の差があると思う。
和紙だけではなく、いろいろ続いてきたものをさらに先へ続けていこうとする仲間の中で暮らしている中で、意識することが、伝統を受け継ぐとは、ここ(住んでいる場所)で続くことの可能性を秘めたものであることなのかもしれない。
残念ながら、楮の栽培を続けてきた綾部の楮生産組合は、少しのポジティブな展開はあったものの、解散し、工場が取り壊しになろうとしている。
でも、終わりを認め、自分達でもう一度立て直す時期なのかも知れない。
そんな中、中嶋さんの取り組みは、ひとつの方向性として僕たちに示唆を与えてくれている。
しばらくは、ひとりで考えることにしよう。
記事はチルチンびと94ページ~。
近藤さんの文章、どこまで深く感じているのか、読んでいただけるとわかると思います。
ちなみにハタノの襖も紹介されています。
(よって、ただでこの号もらいました。これも、風土社の計らいと思うと、感謝です。)

 

 

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コメント: 1
  • #1

    Lindsy Isreal (月曜日, 23 1月 2017 12:20)


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